壁魚雑記

漢籍や東洋史関係の論著を読んで気づいたこと、考えたことの覚書きです。

龍の敗者

『北夢瑣言逸文』巻4「闘龍」

 石晋時、常山帥安重栄将謀干紀、其管界与刑台連接、闘殺一龍。郷豪有曹寛者見之、取其双角、前有一物如簾、文如乱錦、人莫知之。曹寛経年為寇所殺。壬寅年、討鎮州、誅安重栄也。葆光子読北史、見陸法和在梁時、将兵拒侯景将任約於江上、曰「彼龍睡不動、吾軍之龍甚自踴躍。」遂撃之大敗、而擒任約。是則軍陣之上、龍必先闘。常山龍死、得非王師大捷、重栄授首乎。黄巣敗於陳州、李克用脱梁王之難、皆大雨震雷之助。

 後晋の鎮州節度使であった安重栄が謀叛をたくらんでいたとき、領内で一匹の龍を殺した。曹寛という土地の有力者がその角を拾ったところ、簾のようなものが垂れ下がり、錦のような文様があったが誰もこれが何か知らなかったという。曹寛は翌年、賊に殺され、安重栄も壬寅の年(天福7〔西暦942〕年)に後晋軍に討たれてしまった。『北史』の陸法和伝には、陸法和が梁に仕えていたとき、侯景の部将任約と長江で対峙し、「かの龍は眠って動かず、わが軍の龍は自ずから勇躍す」と語り、ついに敵を大いに破り、任約を捕らえたとある。つまり軍陣の上では、龍同士が先に闘い、決着がつくということで、鎮州の龍が死んだいま、王師が大勝し、安重栄の首がもたらされるのは当然のことであろう。黄巣が陳州で敗れたときや、李克用が上源駅で朱全忠の暗殺から逃れたときも、豪雨と落雷の助け―つまり龍の助けがあったのだ。

 

 孫光憲(葆光子)が引くところの『北史』陸法和伝の該当箇所は次のとおり。

『北史』巻89「芸術伝上・陸法和条」

 至赤沙湖、与約相対、法和乗軽船、不介冑、沿流而下、去約軍一里乃還。謂将士曰「聊観彼龍睡不動、吾軍之龍、甚自踊躍、即攻之。若得待明日、当不損客主一人而破賊、然有悪処。」遂縱火船、而逆風不便、法和執白羽扇麾風、風即返。約衆皆見梁兵步於水上、於是大潰、皆投水。

 陸法和とは梁から北斉に仕えた人物で、「諸蛮弟子八百人」を率いる宗教的軍事集団の長であったようだ。自らを「居士」「求仏之人」と称し、沙門の体裁だったというから仏僧のようだが、死後は尸解し、予知能力や風向きを変えるなど「奇術」を得意とする、道仏混合の妖人である。僕はこの「闘龍」の記事ではじめて知ったのだけれど、かなり面白そうな人物なので、改めて彼の伝も読んでみたい。

 さて、そんな妖人陸法和は彼我の龍を観ることで勝敗を読んだようだが、これが彼の「奇術」なのか、自らの弟子たる将士への叱咤激励なのかは解らない。ただ、劉邦の蛇退治の説話もあるように、龍は個人や集団の興廃を象徴するシンボルとして、少なくとも孫光憲の生きた五代宋初までは認識されていたらしい。自ら龍を手にかけた安重栄は自滅の道を進んだということか。

『北夢瑣言』では安重栄のような豪傑から子どもまで、色々な人の龍殺しエピソードがあるが、武将にはみな龍の相棒がおり、その強弱や生死によって武将本人の勝敗も左右されるという、少年マンガのような「闘龍」の世界観が個人的には一番面白い。