壁魚雑記

漢籍や東洋史関係の論著を読んで気づいたこと、考えたことの覚書きです。ときどき珍スポ。

年頭狗肉

 戌年だから犬を食べよう。

 そんな短絡的な発想で僕が足を延ばしたのは、大阪のコリアンタウンとして名高い鶴橋のおとなり今里新地。鶴橋に比べると新興のコリアンタウンらしいが、近年はベトナム人も増えているらしい。そして飛田・松島・信太山・滝井と並ぶ「大阪5大新地」の一つ、つまり花街でもある。胡散臭いにおいがプンプンするぜ。

 夜に訪れた方が面白いのかもしれないが、数年前の生野区連続通り魔事件(韓国籍の男が、日本人であることを確認した相手を次々とめった刺しにしていった通り魔事件)の発生現場でもあるので治安面が不安ということと、単純に夜は予定があったので、午前中からランチがてら新地を散策することにした。

 今里駅から続く商店街を抜け、今里新地と思しき界隈を歩く。道行く人も韓国語を話していたり、東南アジア系の浅黒い顔立ちだったりと、国際色豊か。多く見かけるのは韓国料理屋、中華料理屋、カラオケスナック、一般の住宅か。そして、それらの合間にぽつりぽつりと点在する「料亭」。

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 まだ午前中で営業時間前のためか、人はいない。飛田のように店が一角に固まっているわけではなく、営業形態も軒先に嬢とやり手婆が座っているスタイルではなさそうだ。この写真ではわかりづらいが「今里花街組合」の赤ちょうちんがなければ、ただの料亭のように見える(真正面から撮影する度胸はなかった)。

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 ベトナム人も進出してきているとのことだが、僕が見かけたベトナム系の店は営業していないコーヒーショップのみ。

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 謎の新興宗教も。神道系らしいが詳細はググっても不明(真正面から撮影する度胸はなかった)。

 このほかに中華料理屋が多く、地域の避難所(近所の学校)の案内看板に日本語、英語、中国語、ハングルの4種類の表記があったので、今里には中国人も相当数住んでいるのだろう。花街、韓国人コミュニティ、ベトナム人コミュニティ、中国人コミュニティ、新興宗教というラインナップに、目当ての店に行く前にだいぶお腹いっぱいになるマッドシティぶりだった。

 

 さて、お目当ての韓国料理屋「開城食堂」である。開城なので韓国ではなく朝鮮系かもしれない。

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 ※外観の写真は撮り忘れたのでネット上の拾い画です。

 韓国料理で犬肉といえばポシンタン補身湯)である。人生初の犬肉。猫派の僕は犬に特別思い入れがないので、犬を食べるなんてかわいそうという情緒面での抵抗感はない。まあ猫が食べられる店があると聞けば躊躇せずに食べに行くけど。

 店に入ると一般の住宅のリビングのような部屋で老夫婦(?)が韓国のテレビを見ながら食事をしている。店員を探すと、夫婦のうちのオモニが韓国語と片言日本語のちゃんぽんで話しかけてきた。部屋の奥の電気をつけて別のテーブルに案内してくれる。あんたが店員かよ!?

 ポシンタンを注文すると老夫婦は2人とも厨房へ行くが、食べかけの食事はテーブル上に残したまま。食事中だっただろうに、なんかごめん…。

 テレビからは韓国のニュース、僕の隣のテーブルには食べかけのオモニたちの昼食。壁に牛カルビのメニュー写真がなければ一般の住宅のリビングと勘違いしそうな部屋に、韓国の実家に帰ってきたような錯覚すら覚える。

 そしてポシンタンが登場。

 オモニは終始笑顔で「カンコクジン?」「ポシンタン、ハジメテ?」と僕に話を振りながら卓上の荏胡麻、ヤンニョム、唐辛子を手際よくポシンタンに投入していく。愛想のよい人なんだけど「コレ、ダイジョブ?」と訊きながらノータイムでぽんぽん唐辛子を入れるのはやめてくれよ。入れる前に訊いてくれ…。

 そしてスプーンでよくかき混ぜてできあがり。

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 犬肉は赤身肉と、たっぷりコラーゲンが含まれていそうなぷるぷるの脂身がきれいに分離している。後の具材は小松菜のような謎の葉野菜。熱々のスープからいただくが、犬肉のくさみが出ているのか独特のクセを感じる。そして犬肉。ああ、うん、これはくさいねえ…。

 ネット上では「羊肉に似ている」「くさみが強い」という意見の多い犬肉だが、羊に似ているかどうかはともかく、たしかににおいが強烈だった。僕の乏しい人生経験ではちょっと他に例えようのない独特の獣臭で、なかなかスプーンが進まない。赤身肉はパサついた硬めの肉で、噛んでも特別旨みを感じられない。どういう犬種なんだろう。そして赤身肉ですら厳しいのに、もともと牛や豚でも得意ではない脂身は口に入れた瞬間戻しそうになったので、噛まずに呑み込む。よく噛まなかったせいかスープの味しかしなかった。

  日本人は唾液量が少ないからジューシーな肉を好むというが、同じモンゴロイドの中国人や韓国人は違うのだろうか。僕は朝鮮半島や中国の犬食文化について無知だが、個人的には、においばかり強くてパサつき、旨みの少ない犬肉は珍重されるような食材ではないだろうなと感じた(現代日本人並みの感想)。前近代の中国の犬食文化についても、「羊頭を懸けて狗肉を売る」というくらいだから、犬肉は羊肉の下位互換、大牢に数えられる牛・豚・羊よりは低級な食肉だったのではないか。犬の屠畜を生業としていた漢の樊噲もきっと古代中国のワーキング・クラス・ヒーローだったのだろう。

 そんなことを考えながらどうにかポシンタンを完食すると、オモニが残ったごはんをスープに入れて火にかけ、雑炊をつくりはじめた。「ゴハン、オカワリ?」と訊くので、「じゃあ、ちょっとだけ」というと、自分たちの茶碗から食べかけのご飯をスープに入れはじめた。え、なに、俺たち家族か何かだっけ?

 締めの雑炊である。

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 やはりまだ犬のくさみは残っているものの、圧倒的に食べやすい。別添えの甘味噌のようなものを投入するとさらにくさみが中和され、味噌のコクが加わり、まったりとした味わいになる。ああ、これならいける。

 雑炊も完食するとオモニが満面の笑みで「オイシカタ?」と訊く。「美味しかったです」と僕も笑顔をつくると、途中からやってきたオモニの娘さんと思しきおばちゃんに嬉しそうに「ニホンジン、ポシンタン、ハジメテ」と話しかけていた。やはりポシンタンを初体験で美味しく完食する日本人は少ないから嬉しかったのかな。僕は口のなかが犬臭いけど。

 食後のお茶を飲んでいると、2階からベトナム人と思しき父子が下りてきて、オモニと話をしていた。近所に住む常連客だろうか。店にいる日本人はどうやら僕一人らしい。なにここ租界?

 しかし韓国人街にベトナム人が進出していると聞くと、馳星周を読んで育った身としては「抗争とかあるのか」と心配してしまうが、オモニと父子は親し気に見えた。あのオモニの人柄のせいだろうか。

 マッドシティとばかり思っていた今里新地のあたたかな一面を見て頬がゆるんだ僕だったが、口のなかの犬臭さは結局この日の夜まで消えないのであった。