壁魚雑記

漢籍や東洋史関係の論著を読んで気づいたこと、考えたことの覚書きです。ときどき珍スポ。

左慈の弁当

 久々に『北夢瑣言』を読んでいると、気になる記事が見つかった。

 

『北夢瑣言』逸文補遺 六甲行厨

 修道功深者、享六甲行厨。凡有所須、舉意即至。

 

 道術を深く修めた者は、「六甲行厨」を会得できる。およそ望むものは、念ずればすぐに届く。

 

 解釈にあまり自信はないが、およそこのような意味であろうか。道術を深く修めた者は、「六甲行厨」によって欲しいものを望みのままに手に入れられるとのこと。

 では「六甲行厨」とは何か。

 「行厨」は弁当を指し、「六甲」の意味するところは甲子・甲戌・甲申・甲午・甲辰・甲寅の六つの干支、星の名、神の名など多数あるが、ここでは五行の方術とする解釈を採りたい。

 それというのも「六甲行厨」という語は、管見のかぎり『神仙伝』の左慈伝を典拠とするように見受けられるからである。

 三国志でも曹操を惑わす方士としておなじみの左慈の能力について、『神仙伝』では次のように描かれている。

 

『神仙伝』巻五 左慈

 …乃學道、尤明六甲、能役使鬼神、坐致行厨

 

 …そこで方術を学び、なかでも六甲に精通し、よく鬼神を使役して、いながらにして食事を運ばせることができた。

 

 方術としての「六甲」は、『後漢書』方術列伝における「遁甲」への李賢注に「遁甲、推六甲之陰而隱遁也」とあるように、(少なくとも唐代には)隠形術である遁甲を指すと解釈されているようで、左慈はみずからの身体を隠したり変化させるほか、鬼神に食事を運ばせることまでできたということだ。

 盆に張った水から鱸を釣り上げたり、羊に化けて追手を惑わしたりと、左慈曹操を幻惑する三国志の名シーン、あれこそが(鬼神は具体的に描かれないが)その場に食事を現出させる「行厨」と隠形術である「六甲」だったのである。これらのエピソードは『神仙伝』のほか、『捜神記』や『後漢書』などの左慈伝にも多少の異同を含みながらほぼ同じ内容で描かれている。

 そして『北夢瑣言』編者の孫光憲が生きた唐末五代まで、左慈が得意としたといわれる「六甲」と「行厨」は、道術の奥義として伝承され続けていたのであろう。

 ちなみに北宋に入ると、「六丁」と「六甲」とよばれる鬼神を使役する道士や、「六甲法」という六甲の年にうまれた者(?)だけで構成された軍隊で戦うインチキ兵法など、うさんくさい輩が散見され、道術としての「六甲」の裾野の広がりがうかがえる。