壁魚雑記

漢籍や東洋史関係の論著を読んで気づいたこと、考えたことの覚書きです。ときどき珍スポ。

乱世の犬バカフードファイター~宦官これくしょん(1)廖習之~

 宦官という人種には、後宮の奥で陰謀をめぐらせるような、あるいは天子の股肱でありながらその廃立を画策するような、どこかぬめりとした陰湿なイメージがつきまとっている。三国志でおなじみの後漢十常侍や、秦を滅亡に導いた趙高、明の専横者・魏忠賢らの影響が大きいのだろう。

 しかし、実際に漢籍に触れていると、そういった一般的なイメージの枠外にいるような宦官も多数見受けられる。本シリーズでは、僕が漢籍を読んでいて出会った気になる宦官について、一般的なイメージのバイアスを除き、史料に即して虚心坦懐にその活動を綴っていきたい。

 

 第1回目は五代の後晋高祖・石敬瑭に仕えた廖習之をとりあげる。

『清異録』巻下 肢體門 五百斤肉磨

 晉祖時、寺宦者廖習之、體質魁梧、食量寬博、食物勇捷有若豺虎。 晉祖 嘗云「卿腹中不是脾胃、乃五百斤肉磨。」

 後晋の高祖のとき、宦官の廖習之は、身体つきはりっぱで、食べる量もすこぶる多く、物を食べるときはヤマイヌやトラのような猛然たる勢いであった。高祖はかつて言った、「そなたの腹のなかには内臓ではなく、五百斤の肉の碾き臼が入っているようだな」と。

 唐代の度量衡では1斤が660gなので、500斤は330㎏である。お前の腹のなかには300㎏の碾き臼が入ってるようだと、石敬瑭にからかわれたのだが、現代日本人の感覚ではなぜここで臼が出てくるのかピンとこないと思うので、解説する。

 唐代の華北では粟や麦が主食としてよく食べられたが、従来は手回しの臼で行われた製粉作業が、碾磑とよばれる水力で動く石臼によって機械化されたことにより、粉食が盛行し、多様な「餅(日本でいうモチではなく、小麦粉などを練って焼いたもの)」が生まれ、庶民にも愛好された。その一方で碾磑本体と製粉施設、さらにはそこに付随する水利権が利権化し、貴族や寺院などの重要な経済基盤となっていたのである。つまり当時の人間にとって、臼は食生活のベースを支える装置であり、富裕層の財産でもあったのだ。

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※このような手回しの臼による製粉作業が碾磑によって機械化された。(写真はすべて黄正建『唐代衣食住行』(中華書局、2013)より)

 

 麦を入れればゴリゴリ挽いていく碾磑のように、口にしたものをモリモリ消化していく大食いマシーン廖習之。どこか「ジャイアント白田」を連想させる「五百斤肉磨」というあだ名には、彼の大食いに対する敬愛がにじんでいるように思える。

 

 また、廖習之とほぼ同時代に起きた、唐末の黄巣の乱における悪名高い人肉食エピソードからも、当時の碾磑の在り方がうかがえる。

旧唐書』巻200下 黄巣

 賊圍陳郡三百日、關東仍歲無耕稼、人餓倚牆壁間、賊俘人而食、日殺數千。賊有「舂磨砦」、為巨碓數百、生納人於臼碎之、合骨而食。其流毒若是。

 賊が陳郡を囲むこと三百日、潼関の東側では依然として耕作できず収穫もないため、人びとは餓えて障壁にもたれかかり、賊がそこをさらっては食料にし、日に数千人も殺すほどであった。賊には「舂磨砦」があり、巨大な石臼数百基からなり、人を生きたまま投げ込み、骨ごと挽き砕いて食料にしていた。その流毒はこれほどのものであった。

 戦乱によって飢餓が蔓延していた当時、黄巣軍は「舂磨砦」という食料基地を設けて数百の巨大な石臼を設置し、戦争捕虜を投げ込み骨ごと粉砕して人肉ミンチをつくっていたという。石臼の規模や人間を骨ごと砕ける粉砕力からして、手回しではなく水力を利用した碾磑施設の集積地だったのではないかと思うが、自分たち民衆を食い物にしてきた貴族や寺院の碾磑を奪って、逆に彼らを文字通りの「食い物」にしてしまう残虐さは平山夢明のホラー小説のようでもある。

 ともあれ、このような碾き臼が食料の加工を支えていた時代を廖習之は生き、そのあだ名にも反映されていたのである。

 

 さて、正史には現れないほぼ無名の宦官であった廖習之だが、彼には大食い以外にもうひとつのエピソードが残されている。

『清異録』巻上 獣名門 黄奴 

 耒陽廖習之家、生一黄犬。識人喜怒頤指、習之嘗作歌云「吾家黄奴類黄耳。」

 耒陽の廖習之の家に、一匹の黄犬が生まれた。人の機嫌を見わけてあごで使うことができたので、習之はかつて歌をつくって「吾が家の黄奴、黄耳に類(に)たり」とうたった。

 よく愛猫家が「自分が猫の主人なのではなく、猫が自分の主人なのだ」ということを宣うが、廖習之と黄奴の関係も同じだろう。廖習之や家族の者の機嫌がよいときに甘えてきて、その愛くるしさで要求をのませる。イヌ的な忠順というよりは非常にネコ的で賢い犬である。その賢さを愛でた廖習之は、黄奴を西晋文人として名高い陸機の愛犬「黄耳」になぞらえている。

『晋書』巻54 陸機伝

 初機有駿犬、名曰黃耳、甚愛之。既而羈寓京師、久無家問、笑語犬曰「我家絕無書信、汝能齎書取消息不。」犬搖尾作聲。機乃為書以竹筩盛之而繫其頸。犬尋路南走、遂至其家、得報還洛。其後因以為常。

 はじめ陸機は駿犬を飼っており、名を黄耳といい、たいそう可愛がっていた。みやこに寄寓していたとき、久しく実家との音信が途絶えていたため、笑って犬に語りかけた。「我が家からめっきり手紙が届かなくなったなあ。お前、ちょっと手紙を届けてようすをみてきてくれないか。」犬はしっぽを振ってワンと一声。陸機はそこで手紙をしたため竹筒に入れ、その首にくくりつけた。犬は道をさがして南へと走り、ついにその家へたどり着き、返書をもらい洛陽へ帰ってきた。その後は黄耳が洛陽と実家を往復するのが常となった。

 陸機は三国志でおなじみの陸遜の孫にあたるが、呉の滅亡後は西晋のみやこ洛陽へ出仕していた。そのときに江南の実家との連絡係として、愛犬の黄耳に手紙をくくりつけ、伝書鳩ならぬ伝書犬にしていたのである。それほど賢い黄耳に己が愛犬をなぞらえる廖習之。はっきりいって犬バカである。『清異録』のこの一文からは、黄奴にデレデレな彼の溺愛っぷりがにじみ出ていて微笑ましくなる。

 

 また、「黄奴」の記事からは、廖習之が陸機と黄耳の故事を踏まえて詩作ができるような、(文学的センスはともかく)一定の教養のある人物であったことが読み取れる。五代は乱世のため、目に一丁字なき武弁が官界に幅をきかせ、清河崔氏という名門出身であり後唐明宗朝の宰相をつとめた崔協でさえ、文字をわずかしか知らず「没字碑(字の書いてない石碑)」と蔑まれたほど文官の教養レベルが落ちていた。漢字が読めないどこかの国の首相や、北方四島の読み方がわからない北方領土担当大臣のような話である。こういった環境にあって、一介の宦官にすぎない廖習之の教養の深さは稀有なことであった。サイバーセキュリティ担当大臣がUSBを使えるくらい稀有なことであったのだ。これまでマッチョでドカ食いする犬バカという、「オデ、黄奴、スキ」「陛下ノ、ゴハン、マルカジリ」とか片言でしゃべる知能指数が低いパワーキャラみたいな印象しかなかったのに、ギャップがあるなあ。

 しかし管見のかぎり、廖習之が現れる史料は今回とりあげた『清異録』の記事のみであるため、彼の経歴は知りようがなく、その教養の由来についても不明だが、彼の出身地が衡州耒陽県であることは注目に値するかもしれない。

 ただの偶然かもしれないが、そこは宦官としての大先輩である後漢蔡倫の出身地なのである。 

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中国歴史地図集/唐代/江南西道

 現代でいえば湖南省の耒陽市だが、唐代では安史の乱を避けた流浪の杜甫が客死したともいわれる辺陬の地である。

 この周辺では唐末五代にかけて、雷満という文身断髪の武陵蛮の頭領が自立割拠したように、もともと少数民族の勢力が強い地域であった。後漢代から漢人の入植が進んだことによって、先住の「武陵蛮」「五渓蛮」などとよばれる少数民族とのあいだに衝突が起こったが、漢人王朝からは少数民族の「反乱」と見なされ、武力鎮圧され続けてきた土地である。こういった少数民族が先住し、漢人にとってはフロンティアとなる土地から、嶺南出身の高力士がそうであったように、戦争捕虜あるいは中央への献上品として男子が狩り出されて去勢手術を受け、宦官として供給されてきたことは夙に指摘されている。

 蔡倫の出自についても、後漢の桂陽郡耒陽県の出身であることしかわからず、後宮へ入る以前の経歴は一切不明である。ただ、「才学が有」るという個性は廖習之と共通しているが、これは両者ともに宮中へ入ってからの教育の賜物ではないかと思う。

 なんら確証のない推論だが、廖習之も蔡倫も、こういった民族的な背景を背負った宦官であった可能性が考えられよう。

 

 五代は乱離の時代である。史書に見えるのは武人による戦乱・陰謀と、文官による苛斂誅求ばかりである。そのなかにあって、大きな功績を残したわけでもなく、ただ大食らいで犬バカというだけで史書の片隅に名を留めた廖習之の存在は、どこか心和ませるものがある。

 しかし、彼を「犬バカフードファイター」とキャラ付けして、のほほんと可愛がってよいものか、こんなタイトルの記事を書いておいて何だが、疑問も生じる。

 三田村泰助はその著者『宦官』で、清末に北京を訪れた英国人ステントの報告として、当時の宦官は女や子どもに愛情を持ち、ペットとして小さな犬を可愛がる傾向があったことを記しているが、子孫を残せない廖習之にとっても、黄奴はわが子の代わりのような存在だったのかもしれない。

 また、犬や猫は去勢するとホルモンバランスが崩れて食欲旺盛になることがあるといわれており、犬や猫と人間のホルモンのメカニズムを同一視できるかは不明だが、廖習之の異常なまでの食欲も、生来の大食らいが去勢によって拍車がかかったのではないかとも考えられる。ステントは宦官に情緒不安定な傾向があったことを指摘しているが、これも去勢によるホルモンバランスの乱れが原因ではないだろうか。

 そういった視点からながめると、廖習之の「犬バカフードファイター」という一見面白いキャラの裏にも、フランケンシュタインの怪物のような歪さと悲しみ、さらには抑圧された少数民族の悲劇が見え隠れするのである。