壁魚雑記

漢籍や東洋史関係の論著を読んで気づいたこと、考えたことの覚書きです。ときどき珍スポ。

日本最北の関帝廟があると聞いて

 行ってきました、函館中華会館に。

f:id:ano_hacienda:20200920113833j:image

 といっても、現在、一般公開はしていないので、中の関帝廟には参拝できない。

f:id:ano_hacienda:20200920114024j:image

f:id:ano_hacienda:20200920114035j:image

f:id:ano_hacienda:20200920114050j:image

 それでも西暦1910年ということは、清朝の宣統2年に建てられたわけで、日本で唯一の清代建築らしい。

 幕末から開港した函館には俵物や昆布の取引のために華僑が移住してきており、彼らの集会所として機能していたとのこと。

 横浜の現在の関帝廟が戦後に再建されたものであることを鑑みると、日本最北かつ最古の関帝廟になるのではないか。

 

 中には入れないので外観だけ。

f:id:ano_hacienda:20200920115337j:image

 赤茶けた煉瓦造りの外壁は、和洋折衷の函館の街並みにもしっくりなじむ。横浜中華街にあるような満艦飾のギラギラした派手さはなく、むしろ質実剛健といった印象。

f:id:ano_hacienda:20200920113849j:image

f:id:ano_hacienda:20200920113914j:image

 いまにも緑に呑み込まれそう。

 

 近くにはイギリス領事館もあるし、函館といえば西洋風の建築というイメージが強いが、ラッキーピエロ創業者の王一郎会長も華僑だし、横浜や神戸、長崎ほどでなくとも「華僑のまち」という側面もある。王会長は陳舜臣と同じ神戸華僑(王会長は福建系、陳舜臣は台湾系だが)なので、函館華僑の末裔ではないのだけど、故郷と似ている函館に惹かれて移住したそうなので、開港地特有の雰囲気は共通しており、そのまちづくりの一端には華僑も関わっていたということなのだろう。

 僕はソグド人のように、日本全国に張り巡らされた華僑ネットワークに乗っかって函館に移住してきたのでは?と妄想したけれど。

 関帝廟は期間限定で公開したこともあるそうなので、次回に期待したい。そのときはまた参拝しに来よう。

f:id:ano_hacienda:20200920121254j:image