壁魚雑記

漢籍や東洋史関係の論著を読んで気づいたこと、考えたことの覚書きです。ときどき珍スポ。

その男ヴァンダク

 中国に移住したソグド人の諱・字として「盤陀」「槃陁」という名を見かけることが多い。

 これはソグド人に多いと見られている「〇〇(神の名)ヴァンダク」という名の漢字音転写といわれており、概ね頭に神の名を冠している。

 たとえば「ナナイヴァンダク(Nanai-Vandak)」であれば、「ナナ女神のしもべ」という意味で、ゾロアスター教における豊穣の女神であるナナ女神にあやかった命名である。

 中国側の史料では「安盤陀」「安射勿盤陀」「安諾盤陀」「石槃陀」「翟槃陀」などと、神の名は省略され、安・康・史・石・何・曹・米・翟といった、いわゆるソグド姓を冠している場合が多いので、「ソグド姓+ヴァンダク」の姓名を持つものはソグド系であると一般的には認識されている。

 

 しかし史料をひもといていると、ソグド姓を冠しない「ヴァンダク」(らしき名の人)に出会うことがある。彼らは一体何者なのだろうか?

 

①劉盤陀(東魏山東

北斉書』巻21 高季式伝

  天平中、出為濟州刺史。山東舊賊劉盤陀・史明曜等攻劫道路、剽掠村邑、齊・兗・青・徐四州患之、歷政不能討。季式至、皆破滅之。

 

 天平年間に済州刺史となった。ときに山東の旧賊の劉盤陀と史明曜らは道路に跋扈し村々を略奪し、斉・兗・青・徐の四州は害を被っていたが、歴代の刺史は討伐できなかった。季式が赴任してこれらを皆滅ぼした。

 劉姓なので一見ソグド人には見えないが、仲間の史明曜は思いっきりソグド姓ですね…。また東魏という、一般社会にはソグド商人が、官界にもソグド人官僚が大量に進出していた北斉の前身王朝での事件というのが気になるところ。

 

②敬盤陀(隋・絳郡)

『隋書』巻4 煬帝紀下 大業十一年十二月の条

 庚辰、詔民部尚書樊子蓋發關中兵、討絳郡賊敬盤陀・柴保昌等、經年不能剋。

 

 庚辰の日、民部尚書の樊子蓋に詔して関中の兵を発して、絳郡の賊の敬盤陀・柴保昌らを討たせたが、年を越しても平定できなかった。

 敬姓であり、仲間にもソグド要素がないので、ソグド人の可能性は低そうだが、隋代の山西は各地にソグド人コロニーが存在し、武装勢力としてのソグド人郷団の存在も指摘されている。*1

 また、樊子蓋はこの反乱の平定戦中に汾水の北にある「村塢」を見境なく焼き払っており、当時のソグド人コロニーがどのような形態で存在していたのかは不明だが、敬盤陀がソグドと何らかの関係がある人物の場合、隋軍側がその出身あるいは支持母体として「村塢」として認識されていたソグド人コロニーを攻撃していた、という憶測も可能ではないだろうか。

 

 このように非ソグド姓のヴァンダクは、ソグド人との関連性がありそうななさそうなポジションの人物だらけである。

 なお、西域には于闐の西に「渴盤陁(陀)」(または「喝盤陁」、「訶盤陁」、「漢盤陁」などとも記される)という于闐と風俗の似た国があるそうで、あるいはこの「渴盤陁」人とも考えられなくはないが、そもそも史料上ではソグド諸国に比べて中国との交渉が少ないマイナーなオアシス国家なので、可能性は低いだろう。

 

 非ソグド姓のヴァンダクについては、養子などにより漢姓を冒したソグド人、ソグドとの関係性が深く(ゾロアスター教への改宗も含めて)文化的影響を受けた非ソグド人等といったケースが想定されるかな、と考えながら検索していたら、『新唐書』宗室世系表にすごいのが出てきました。

 漢王洪(高祖李淵の三兄)の後として「巴陵郡王盤陁」。

 宗室にもいるの!?

 管見の限り、『新唐書』宗室世系表以外で李盤陁は出てこないので、どのような人物だったのかは不明だが、さすがに生粋のソグド人ではないでしょうね…。母親(漢王の夫人)がソグド系という可能性はありそうだけど。

(と、書いていたが、『旧唐書』巻60宗室列伝では、李洪は鄭王に封ぜられており「無後」とのことなので、後裔がいなかったようだ。李盤陁については実在したのかも不明としか言いようがない)

 

 しかし、こうして見ると「ヴァンダク」を名乗っていた人々はそもそもソグド系でもなんでもなくて、ソグド人の社会進出が進み、西域風のファッションが盛行していた当時の流行の一環として命名されたのでは?とも思う。

 ディーン・フジオカとかファーストサマーウィカみたいに、それっぽい名前がカッコいい!という理由だったら、なんだかものすごく親近感が湧くんですけどね…。

 非ソグド姓ヴァンダクについては、もっと資料が出てきたら改めて考えてみよう。

*1:石見清裕『ソグド人墓誌研究』第五章「太原出土「虞弘墓誌」」(汲古書院、2016)