壁魚雑記

漢籍や東洋史関係の論著を読んで気づいたこと、考えたことの覚書きです。ときどき珍スポ。

スキンケア男子・安禄山~安史の乱点描(5)

 天宝十載(751年)正月一日、この日は安禄山の誕生日ということで(この年で数え四十九歳)、玄宗及び楊貴妃から各種の誕生日プレゼントが下賜されている。

安禄山事迹』巻上 天宝十載正月の条

玄宗賜金花大銀盆二、金花銀雙絲平二、金鍍銀蓋椀二、金平脱酒海一並蓋、金平脱杓一、小馬腦盤二、金平脱大盞四、次盞四、金平脱瑪腦盤一、…(中略)…、太真賜金平脱装一具、内漆半花鏡一、玉合子二、玳瑁刮舌箆・耳箆各一、銅鑷子各一、犀角梳箆刷子一、…(以下略)。

 両者のプレゼントを比較すると、玄宗からはさかずきなど酒器が多いのに対して、原田淑人氏は楊貴妃からの下賜品を「金平脱の化粧箱に化粧道具一揃を納めているもの。漆半花鏡は半花の図紋をあらわした平脱の小銅鏡か。玳瑁(鼈甲)の舌こき・耳かき、銅製の毛抜き。犀角の梳(くし)、舌こき、刷子(ブラシ)等いかにも婦人の持物らしい」*1と分析している。

 『安禄山事迹』ではこの記事に続いて、禄山の母や祖母が国夫人を賜り、子の慶宗らも玄宗直々に賜名されるという一門の栄華を描いており、楊貴妃の化粧箱やスキンケア・オーラルケアに関わるプレゼントも、あるいは安禄山の妻妾に向けたものかもしれないが、唐代では男性も冬場の乾燥対策にリップクリームやスキンクリームを使用していたため、やはりすなおに安禄山自身が使うためのプレゼントと解釈するのが妥当だろう。

杜甫「臘日」

口脂面藥、隨恩澤

翠管銀罌、下九霄

リップクリームとスキンクリームは天子の恩沢によって、

緑の筒や銀のかめにて宮中から賜ってきたのだ

 杜甫が詠ったように、唐代では陰暦十二月の年送りのまつりに宮中で宴をもよおし、百官に対してリップクリームやスキンクリームを下賜する風習があった*2楊貴妃安禄山に贈った化粧箱も、「翠管銀罌」のようにスキンケア用品を入れるためのものだったのかもしれない。

 臘日の下賜品のほか、安禄山への誕生日プレゼントからも、冬場には乾燥対策としてリップやスキンクリームを塗り、毛抜きで眉を整え、最近日本でも流行りつつある舌ブラシで舌苔の掃除をする、現代のスキンケア男子に通じる唐代の男性のスキンケア事情が垣間見えておもしろい。

 安禄山におしゃれイメージはまったくなかったけど、宮中にあがって楊貴妃に可愛がられていたわけだし、辺境の汗臭い荒くれ外人部隊長などではなく、ソグドネットワークで外国の交易品をもたらし、ダンスとトークが巧くていじられキャラに徹することができ、さらに女子の好きな「清潔感」もそなわっていたのならば、けっこうなモテ男だったのでは、と思えてくるなあ。

 

 

 

*1:原田「天宝の風雲児安禄山を描く」同『東亜古文化説苑』(座右宝刊行会、1973)所収

*2:李芽『脂粉春秋 中国歴代粧飾』「第六章 隋唐五代時期的粧飾文化」中国紡織出版社、2015