壁魚雑記

漢籍や東洋史関係の論著を読んで気づいたこと、考えたことの覚書きです。

節分らしい話

陳舜臣は「鬼を驚かせ」というエッセイで遼代の正月の習俗「驚鬼居」に触れている。

 鬼の住居を驚かす、というのだから、魔除けの行事にちがいない。記事によれば、モチゴメの飯と白羊の髄で拳大の団子をつくり、夜にそれを家から外にむかって投げたという。そのとき十二人の巫が鈴を鳴らし、歌をうたいながら、住居の周囲をまわったのである。

…(中略)…

この驚鬼居の行事の説明はさらに、

――帳內爆鹽、壚中燒地拍鼠

とつづいている。…(中略)…右の文章によれば、部屋のなかで、はじけるように塩を焼き、いろりのなかで地を焼き、そしてネズミをたたくということになる。

要するに追儺のような儀式で、節分の豆まきとも関係がありそうで興味深い。しかし『遼史』の当該記事を読むと、この習俗を「驚鬼居」と呼ぶことには疑問が生じる。

『遼史』巻五十三 禮志六

正旦、國俗以糯飯和白羊髓為餅、丸之若拳、每帳賜四十九枚。戊夜、各於帳內窗中擲丸於外。數偶、動樂、飲宴。數奇、令巫十有二人鳴鈴、執箭、繞帳歌呼、帳內爆鹽壚中、燒地拍鼠、謂之驚鬼、居七日乃出

「之を驚鬼居と謂い、七日にして乃ち出づ」ではなく、「之を驚鬼と謂い、居ること七日にして乃ち出づ」と読む方が自然ではないか。鬼そのものではなく住居を驚かすという捉え方は不自然だし、餅を投げ、塩を焼いてネズミをたたき、七日間の物忌みを過ごしてようやくテントの外に出れた、というわけだろう(あるいは鬼の方が七日間もこんな儀式を続けられて這う這うの体で出て行ったのかもしれないが)。

 

2月7日追記

横田文良『中国の食文化研究〈北京編〉』によると、契丹人は「黄鼠」というハタリス(黄色の地鼠類)を好んで食べたそうで、その肉を炙った料理の名を「焼地拍鼠」というらしい。地鼠類の巣であるトンネルの片側の入り口で火を焚き、煙でもう一方の入口へと燻り出す狩猟法が料理の名になっているとのこと。

それでは驚鬼の儀式のうちテント内部における、いろりで塩を焼くという行為は、ハタリス狩りを模して悪霊を燻り出す儀式なのか、あるいは正月料理として本当にハタリスの肉を炙っていたのだろうか。

 

 

蘭におもう (徳間文庫)

蘭におもう (徳間文庫)