壁魚雑記

漢籍や東洋史関係の論著を読んで気づいたこと、考えたことの覚書きです。ときどき珍スポ。

煬帝の動くフィギュア

 隋の煬帝がまだ晋王であったときからの寵臣に柳䛒という人物がいます。

 若いころから文才に恵まれていた柳䛒は、文雅好みの晋王楊広(煬帝)の帷幄に招かれ、師友としての待遇を受け、文章の起草にその達意の筆をふるっていましたが、煬帝の彼への寵愛ぶりについては、『隋書』巻58柳䛒伝に次のような記事があります。

…甚見親待、每召入臥內、與之宴謔。䛒尤俊辯、多在侍從、有所顧問、應答如響。性又嗜酒、言雜誹諧、由是彌為太子之所親狎。

 寝室にまで招かれ飲んだくれていたというから、よほどのお気に入りだったのでしょう。弁舌巧みで機智に富み、打てば響くような受け答え、さらには酒好きとくるので、文才だけではなく、人柄も含めて煬帝の好みだったのかもしれません。

…帝退朝之後、便命入閤、言宴諷讀、終日而罷。帝每與嬪后對酒、時逢興會、輒遣命之至、與同榻共席、恩若友朋。帝猶恨不能夜召、於是命匠刻木偶人、施機關、能坐起拜伏、以像於䛒。帝每在月下對酒、輒令宮人置之於座、與相酬酢、而為歡笑。

  煬帝の柳䛒への寵愛は即位後も変わらず、退朝後は寝室に招いて一日中詩文を読んだり、后妃と飲んでいるときに呼び出して、一緒のソファーやむしろに座らせたというから、ほんとに友達感覚ですね。「あいつも呼ぼうぜ!」とか言ってたんでしょうか、煬帝。そんな礼教の枠に縛られない自由人皇帝煬帝でも、夜中に彼を呼び出すことはしなかったようで、工匠に木彫りの柳䛒フィギュアをつくらせて我慢していたというから、何だかいじらしくも思えます。柳䛒フィギュアはからくり仕掛けで、立ったり座ったり動かせたそうで、関節が可動式だったのでしょうか。月夜には宮女がおいてくれた柳䛒フィギュアを前に酒を酌み交わし談笑していたというから、だいぶ危ない人です。

 

 煬帝の寵臣への扱いについては、『隋書』巻49牛弘伝に次のような記事があります。

…還下太行、 煬帝嘗引入內帳、對皇后賜以同席飲食。其禮遇親重如此。弘謂其諸子曰「吾受非常之遇、荷恩深重。汝等子孫、宜以誠敬自立、以答恩遇之隆也。」

 牛弘についてはこのとき一度きりのようですが、柳䛒同様寝室に招かれ皇后も交えて飲食していたというから、あるいは煬帝にとって寝室に寵臣を招くことは寵愛を示す一つのパフォーマンスだったのかもしれません。鮮卑の血を引く煬帝は礼教的倫理観が希薄だったのかもしれませんが(現に彼自身が父親の愛妾の寝室に出入りしていますね)、あるいは母系を重んじる遊牧民的な気風の名残を彼一流のパフォーマンスから読み取るというのは、少しうがちすぎでしょうか。

 

 さて、話をフィギュアに戻しますと、柳䛒フィギュアのような可動式フィギュアには先行例があります。

『陳書』巻28高宗二十九王伝、長沙王叔堅の条

叔堅少傑黠、凶虐使酒、尤好數術・卜筮・祝禁、鎔金琢玉、竝究其妙。…至德元年、乃詔令即本號用三司之儀、出為江州刺史。未發、尋有詔又以為驃騎將軍、重為司空、實欲去其權勢。叔堅不自安、稍怨望、乃為左道厭魅以求福助刻木為偶人、衣以道士之服、施機關、能拜跪、晝夜於日月下醮之、祝詛於上。

 陳の長沙王叔堅は自身から実権を奪おうとする後主を怨み、これを呪わんとして木製の人形をつくり、道士の服を着せ、からくりを施して拝跪できるようにさせて、昼夜を問わずこれをまつったそうで、寵愛の対象であった柳䛒フィギュアとは真逆の用途です。しかし木製の人形を形代にする呪詛は漢代以降多く見られますが、藁人形よろしく呪詛の対象の形代ではなく、呪詛を行う道士の代わりとして人形をつくるケースは珍しいのではないでしょうか。長沙王は自身が左道や工作に通じていたため、足がつくおそれのある他人を雇わず、一から呪詛の用意をしていたのかと思うと、皇族のくせにやたら豊かなDIY精神に感心してしまいます。

 ともあれ、可動式フィギュアの先行例が煬帝の滅ぼした陳にあることは、柳䛒フィギュアのルーツもここにあるのでは、と考えたくなります。僕は魏晋南北朝や隋代に疎いのでよく判りませんが、可動式フィギュアの事例を他で見たことがありません(知ってる人、教えてください)。

 江南の女に江南の文芸、江南の景観。そして江南の工芸技術。可動式フィギュアも煬帝の好んだ江南の文化の一つだと想像すると、暴君としてのイメージがつきまとう彼にも人間くさい可愛げを感じられるような気がします。

ブログはじめました。

前々からやろうと思っていた東洋史ブログをはじめました。

いままでツイッターで呟いていた東洋史ネタをここでまとめておこうかと。

主に漢籍や本・論文を読んで気づいたこと、考えたことの覚書きになるかと思います。

 

ブログタイトルの「壁魚」は「紙魚」のことです。

『北夢瑣言』巻12に「張子斅壁魚」(張子、紙魚を教える)という話があります。

 唐張裼尚書有五子、文蔚・彝憲・濟美・仁龜、皆有名第、至宰輔丞郎。內一子、忘其名、少年聞説壁魚入道經函中、因螙食「神仙」字、身有五色、人能取壁魚呑之、以致神仙而上昇。張子惑之、乃書「神仙」字、碎翦實於瓶中、捉壁魚以投之、冀其螙蝕、亦欲呑之、遂成心疾。

唐の張裼の息子の某は、道教の経典中の「神仙」の字を蚕食した紙魚を食べると、その人も「神仙」になれるという話を聞き、さっそく自分で書いた「神仙」の字を細かく切って、紙魚と一緒に瓶のなかに入れて試そうとしたそうです。そんなことをしているうちに気が狂ってしまったわけですが、周囲から見れば彼の行動はすでに充分狂っていますね。

食べた文字を具現化する紙魚ではありませんが、僕も漢籍や本を読んで考えたことをどうにか形に残しておきたい、ということで、こういったブログタイトルになりました。