壁魚雑記

漢籍や東洋史関係の論著を読んで気づいたこと、考えたことの覚書きです。ときどき珍スポ。

パリピ淵明

 先日、朝の情報番組で「米のとぎ汁でシャンプーするのが流行っていて~」という話が出ており驚いたのだが、TikTokでは #ricewater というハッシュタグで世界的に投稿されているそうだ。

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 僕が驚いたのは、不衛生だからではなく、それが古代中国における洗髪方法だからである。

 

 漢の文帝の皇后である竇皇后は宮中に入る前、弟の竇広国との別れ際、米のとぎ汁で髪を洗ってあげたエピソードがある。

史記』巻49 外戚世家第19 竇太后の条

「姊去我西時、與我決於傳舍中、丐沐沐我、請食飯我、乃去。」

 

「姉がわたしを残して西へ去ったとき、わたしと駅舎で別れました。「沐」を借り受け、私の髪を洗ってくれ、また食べ物を請うて、わたしに食べさせたうえ、去ってゆきました。」

 ここでいう「沐」は穀物(竇氏の郷里は河北のため、コメではなくアワではないか)のとぎ汁(潘)を指し (『史記索隠』沐 、米潘也。謂后乞潘為弟沐。)、漢代では「米」のとぎ汁(=沐または潘)での洗髪が一般的だったことが見てとれる。

 

 時代は下って、東晋末から劉宋にかけて活躍した詩人・陶淵明には、「閑情の賦」という非常にフェティッシュな作品があるが、そのなかで美女の身の回りのものに変化したいという妄想をうたっている。

願在衣而為領  なれるものなら、上衣では襟になり、

承華首之余芳  うなじのにおいにむせびたい。

悲羅襟之宵離  でも寝るときには脱ぎすてられ、

怨秋夜之未央  秋の夜長がうらめしい。

 

願在裳而為帯  なれるものなら、スカートでは帯になり、

束窈窕之繊身  たおやかな腰をしめてあげたい。

嗟温涼之異気  でも季節がうつりかわれば、

或脱故而服新  新しいものととりかえられる。

 

願在髪而為沢  なれるものなら、髪では髪油となり、

刷玄鬢於頽肩  黒髪をなで肩のうえでとかしてあげたい。

悲佳人之屡沐  でも美しいあなたはしばしば髪を洗うから、

従白水以枯煎  米のとぎ汁で流されかわいてしまう。

 ここでは米のとぎ汁を「白水」と表現しているが(陶淵明は江南の人なので、コメのとぎ汁と思われる)、洗髪の際はとぎ汁を煮沸して利用するため、ヘアオイルに変じた妄想上の陶淵明は、ただ流されるのではなく、熱で「枯煎」するのである。陶淵明、どMかよ。

 孔明ではなく陶淵明が現代に転生した場合、TikTokの #ricewater 動画を「いいね」しまくるんだろうなあ…(それはパリピでなくむっつりスケベでは?)。