壁魚雑記

漢籍や東洋史関係の論著を読んで気づいたこと、考えたことの覚書きです。ときどき珍スポ。

東洋史

鳳凰がくる

今年の大河ドラマ『麒麟がくる』がスタートした。タイトルはもちろん孔子の「獲麟」の故事に基づいているのだろう。太平の世に出現する瑞獣・麒麟。しかし戦乱絶え間ない時代に、孔子は本来あらわれるはずのない麒麟の亡骸を見つけてしまい、慨嘆する。世を…

唐土における非漢人の姓名について

吉備真備が書いたと思われる墓誌が公開されたとのことで、僕のツイッターのTLもにぎわっている。 www3.nhk.or.jp 真備は「朝臣備」と称していた(あるいは呼ばれていた)ようで、ウジではなくカバネを唐土における姓としていたらしい。これは阿倍仲麻呂も同…

「古代中国 墳墓の護り手」展雑感

週末、神田にある東京天理ビル内の天理ギャラリーで開催されていたこちらの展示に行ってきた。 東京にも天理教のビルがあるというのは初めて知ったが、天理市の宗教建築とは違い、いたって普通のビルで肩透かしをくらう。 しかしエレベーターの内部は鏡張り…

登州文登県における仏像出土とその背景~『五代会要』の瑞祥記事を読む

先日の即位礼正殿の儀の最中、それまで降っていた雨があがり、空に虹がかかったことで、僕のツイッターのTL上にも「瑞祥だ」というざわつきが流れてきた。 もちろん皆さんネタでいっているのだが、世の中にはすなおに感動している方も多いようで、政教分離が…

乱世の犬バカフードファイター~宦官これくしょん(1)廖習之~

宦官という人種には、後宮の奥で陰謀をめぐらせるような、あるいは天子の股肱でありながらその廃立を画策するような、どこかぬめりとした陰湿なイメージがつきまとっている。三国志でおなじみの後漢の十常侍や、秦を滅亡に導いた趙高、明の専横者・魏忠賢ら…

0パーセントの晴れ男

先日『天気の子』を見てきたので、唐代の天気の子っぽい話を紹介する。 『朝野僉載』巻5 景雲中、西京霖雨六十餘日。有一胡僧名寶嚴、自云有術法、能止雨。設壇場、誦經咒。其時禁屠宰、寶嚴用羊二十口・馬兩匹以祭。祈請經五十餘日、其雨更盛。於是斬逐胡…

南楚覇王補遺~安史の乱点描(3)

以前、安史の乱に紛れて襄州で「南楚の覇王」を称して自立割拠したソグド系武人・康楚元について記事を書いた。ano-hacienda.hatenablog.com このときは楚元のルーツについて、交通の要衝である襄州に集住したソグドの一族から軍士として出仕したものと推測…

碧い瞳の項羽~安史の乱点描(2)

河北では史思明が大燕皇帝を称して自立し、唐朝と安史軍が一進一退の攻防をくりひろげていた粛宗の乾元2年(759)8月、安史軍の勢力圏からは遠い洛陽南方の襄州でひとつの反乱が起こった。 『旧唐書』巻10 粛宗紀 乾元二年条 八月乙亥、襄州偏將康楚元逐刺…

左慈の弁当

久々に『北夢瑣言』を読んでいると、気になる記事が見つかった。 『北夢瑣言』逸文補遺 六甲行厨 修道功深者、享六甲行厨。凡有所須、舉意即至。 道術を深く修めた者は、「六甲行厨」を会得できる。およそ望むものは、念ずればすぐに届く。 解釈にあまり自信…

長安独身男子

高橋一生らがアラフォー「AK(あえて結婚しない)男子」を演じる深夜ドラマ『東京独身男子』が好評のようだ。 アラフォーとまではいかないが、僕もおなじ30代独身男子(って歳か)として、興味深く見てるんだけれど、時代錯誤な90年代トレンディドラマ風のス…

管崇嗣の放埓~安史の乱点描(1)

遊牧世界と農耕世界にまたがる新王朝を樹立せんとする強大な北方のカリスマ安禄山と史思明の反乱により帝都長安は陥落、老いた玄宗は愛する楊貴妃を縊り殺して蜀へ落ちのび、父や楊氏一門と確執をかかえる皇太子・李亨は、長安回復の兵を集めるため父と袂を…

釣りキチと龍と魚たち

例によって久々に『北夢瑣言』を読んでいたら変な記事を見つけたので、以下に紹介する。 『北夢瑣言』逸文巻第四 釣魚見龍 李宣宰陽縣、縣左有潭、傳有龍居、而鱗物尤美。李之子惰學、愛釣術、日住潭上。一旦龍見、滿潭火發、如舒錦被。李子褫魄、委竿而走。…

ソグド系ウィグル武人の肖像―五代人物伝(1)何重建

唐末五代の代北に勢力を伸長し、のちに後唐を建国した李克用父子率いる沙陀集団には多数のソグド系武人が存在したことが夙に指摘されているが、森部豊氏の一連の論著で取り上げられるように、彼らの淵源としては唐代にオルドスに設置された突厥遺民の羈縻州…

弐師将軍、神になる

東洋陶磁美術館の唐代胡人俑展で出会った数々の魅力的な胡人俑、それらが出土した墓の主は穆泰という唐代中期の武人だった。穆泰の素性についての個人的な見解は前回の記事に書いたが、今回は彼の墓誌で気になった箇所を深掘りしていきたい。 ano-hacienda.h…

唐代胡人俑展雑感

先日、館長が出川哲朗氏であることでネット上で有名な大阪市立東洋陶磁美術館へ胡人俑を観に行った。2001年に中国は甘粛省慶城県で発掘された、唐の武人・穆泰の墓の出土遺物のうち胡人俑など60点を将来した特別展、しかもその大量の展示品はすべて写真撮…

バッタを倒しに山東へ

森福都に「黄飛蝗」という小説がある。唐の開元7年(719)、洛陽近郊の芒山で発生した大規模な蝗害に治蝗将軍・魏有裕が立ち向かうさまを描いた短編だが、魏有裕は治蝗軍と呼ばれる軍隊を率い、飼育していた病毒持ちの蝗「黄蝗」を飛蝗の大群に放つことで疫…

奥さん、アリジゴクですよ。

『北夢瑣言』逸文巻第四「砂俘」 陳藏器本草云「砂俘、又云倒行拘子、蜀人號曰俘鬱。旋乾土為孔、常睡不動。取致枕中、令夫妻相悦。」愚有親表曽曽得此物、未嘗試験。愚始游成都、止於逆旅、與賣草藥李山人相熟、見蜀城少年往往欣然而訪李生、仍以善價酬。因…

五人の伍子胥

呉王夫差から死を賜り、亡骸を馬の革袋に入れて長江に流されるという無念の最期をとげた伍子胥は、死後、胥山に祀られたが、長江のたたり神として後年も恐れられていたらしい。 『後漢書』巻44 鄧張徐張胡列伝第34 張禹の条 建初中、拜楊州刺史。當過江行部…

龍の敗者

『北夢瑣言逸文』巻4「闘龍」 石晋時、常山帥安重栄将謀干紀、其管界与刑台連接、闘殺一龍。郷豪有曹寛者見之、取其双角、前有一物如簾、文如乱錦、人莫知之。曹寛経年為寇所殺。壬寅年、討鎮州、誅安重栄也。葆光子読北史、見陸法和在梁時、将兵拒侯景将任…

唐五代のラクダ部隊とソグド系武人

高校時代、中国へ旅行に行ったとき、万里の長城で観光客向けの記念撮影用のラクダを見かけて度肝を抜かれた憶えがある。動物園のような柵のなかではなく、飼い主と思しき人間の傍らにしれっとたたずんでいたこともさりながら、当時の僕は、ラクダという生き…

中国史におけるブタトイレの風景

漢代を中心に、地方の豪族の墓などから当時のブタ小屋の明器が出土することがある。「猪圏」と呼ばれる柵に囲まれたブタ小屋である。 これら「猪圏」の明器には、柵に囲まれたブタ小屋の上階にトイレとなる小屋がついていることが多い。上階のトイレから垂ら…

石君立、ソグド人やめるってよ

ツイッターで呟いていた石君立ネタのまとめ。 中華書局の「点校本二十四史修訂本」シリーズの『新・旧五代史』が届いたのでパラパラめくっていたのだが、文献史料以外に墓誌も活用してテキストを修訂していて、なかなか面白い。 そのなかでも目に付いたのが…

カミナリ兄さん

久々に『北夢瑣言』を読んでいたら厨二心をくすぐる法籙の話が出てきたので、以下に記す。 『北夢瑣言逸文』巻第四「雷公籙」 巴蜀間、於高山頂或潔地、建天公壇、祈水旱。葢開元中上帝所降儀法、以示人也。其壇或羊牛所犯、及預齋者飲酒食肉、多為震死。新…

越後製菓は不正解

西晋の武帝が人の乳で育てた豚肉を食べた話は有名だが、貴族の生活が奢侈に流れた晋代では贅沢三昧のエピソードに事欠かない。 西晋の丞相となった何曾も食にこだわりが強かったようで、衣食住の豪奢は「王者を過ぐる」といわれ、一日の食費に一万銭を費やし…

小さいねって言われませんか

先日ツイッターでもつぶやいたが、最近、標記のタイトルで「ペ●ス増大注射」を勧める迷惑メールが頻繁に届く。 僕は決して「ペ●ス増大注射」のバナーなど踏んだことはないし、なんとかビデオやなんとかハムスターといったいかがわしい動画サイトを巡回するよ…

沙陀の貌

久しぶりの更新になります。うちのPCがWindows8.1にバージョンアップした関係かネットに接続できなくなってしまったので、iPhoneからの更新です。前回のエントリで突厥のビジュアルに触れましたが、コーカソイドの血を引くソグド系突厥などを除けば、阿史那…

李密の愛妾

『北夢瑣言』逸文「韓定辭詩中僻典」に、唐の鎮州節度使の書記韓定辞と幽州節度使の幕客馬彧との詩の応酬のエピソードが記されているが、韓定辞の詩中に「盛德は銀筆の述を將ってするに好く、麗詞は雪兒の歌を與ってするに堪う」という句がある。 馬彧が典拠…

花の張巡~雲のかなたに~

唐代の忠臣をあげるとき、張巡の名は外せません。彼は安史の乱に際し、安史軍が河北・河南を席巻するなか、睢陽に拠って孤立無援の籠城戦をくりひろげた名将として知られています。 また、睢陽の攻防戦は、城内の女性を飢餓に苦しむ兵士の食糧に供したことで…

唐代のソグド系医官

『北夢瑣言』巻6「同昌公主事」に、唐の懿宗の愛娘である同昌公主が病死した際、その責任を負わされた医官が族滅されたという記事が見えます。 『北夢瑣言』巻6「同昌公主事」 因有疾、湯藥不效而殞、醫官韓宗昭・康守商等數家皆族誅。 同じ事件について、『…

「仮子」雑考

唐・五代を中心に、中国史上には「仮子」と呼ばれる人々が散見します。史料上では「義児」「義子」「義男」など、または単に「養子」とも書かれ、広く異姓養子を指すのですが、この「仮子」概念を多くの研究者は、宗族の祭祀を絶やさぬための純粋な後継者と…